社員は家族、という言葉が組織を壊す理由

「うちは社員を家族だと思っている」
この言葉、耳ざわりはとてもいいですよね。
温かい会社、思いやりのある経営、そんなイメージを与えます。

でも正直に言うと、わたしはこの言葉を聞くと、少し身構えます。
なぜなら、「社員は家族」という考え方は、かなりの確率で地雷になるからです。

短期的には、うまくいくこともあります。
けれど、会社が成長し、人が増え、役割が分かれていく段階になると、必ず歪みが出ます。
その歪みは、静かに、でも確実に組織を壊していきます。

なぜ「社員は家族」が危険なのか。
その理由を、経営と現場の両方を見てきた立場から整理してみます。

家族という言葉が、役割を曖昧にする

家族は、役割よりも関係性が優先されます。
親だから、兄弟だから、多少の不公平や理不尽があっても我慢する。
それが家族です。

でも会社は、本来そうではありません。
会社は「役割」と「責任」と「対価」を明確にすることで成り立つ組織です。

「家族」という言葉を使った瞬間、
・誰がどこまで責任を持つのか
・どこまでが仕事で、どこからが善意なのか
この境界線が一気にぼやけます。

結果として起きるのは、
「本当は誰の仕事なのかわからない業務」
「頼まれたから断れなかった仕事」
「評価されないのに増えていく役割」

これは優しさではなく、構造の欠陥です。

「家族だから頑張れ」が、無償の献身を生む

「家族なんだから、少しくらい頑張ってよ」
この言葉は、とても強い圧力を持っています。

・断りづらい。
・文句を言いづらい。
・疲れていても、弱音を吐きづらい。

その結果、
・時間外労働が常態化する
・責任だけが増えていく
・でも報酬や権限は変わらない

という状態が生まれます。

これはブラックかどうか、という話ではありません。
善意と期待が混ざり合った結果、誰もブレーキをかけられなくなる、という構造の問題です。

本人も「家族だから仕方ない」と思い込み、
経営側も「信頼しているから任せている」と勘違いする。

気づいたときには、疲弊した社員と、依存体質の組織が出来上がっています。

やりがい搾取と、善意の搾取はとても静かに始まる

「やりがい搾取」という言葉があります。
少し強い言葉に聞こえるかもしれませんが、実態はもっと静かで、もっと日常的です。

最初から
「給料は払わないけど頑張れ」
と言われることは、ほとんどありません。

実際には、こんな形で始まります。

・助かるよ、ありがとう
・君にしか頼めない
・信頼して任せている
・成長のチャンスだと思ってほしい

どれも、悪意はありません。
むしろ、善意と期待の塊です。

問題は、この言葉が何度も、何度も、繰り返されることです。

最初は本人も前向きです。
期待されているのが嬉しい。
頼られている実感がある。
自分の存在価値を感じられる。

でも、ある時点からズレが生じます。

・仕事は増えた
・責任も増えた
・求められるレベルも上がった
でも
・権限は増えていない
・報酬も変わらない
・評価基準も曖昧なまま

この状態が続くと、やりがいは「対価」ではなくなり、
「我慢の理由」にすり替わっていきます。

これが、やりがい搾取の正体です。

善意は、断りにくいという性質を持っている

さらに厄介なのが、「善意の搾取」です。

善意は、命令よりも断りづらい。
契約よりも縛りが強い。

「お願い」
「助けて」
「信頼してるから」

こう言われると、多くの人はこう思います。
「ここで断ったら、裏切りになるんじゃないか」

特に
責任感が強い人
真面目な人
No.2気質の人
ほど、この罠にかかりやすい。

結果として、
断らない人に仕事が集中し
声を上げない人が疲弊し
最後は、何も言わずに離れていく

経営側は「突然辞めた」と感じ、
本人は「限界まで我慢した」と感じる。

このズレは、個人の問題ではありません。
構造の問題です。

「家族」という言葉が、搾取を見えなくする

ここで、「社員は家族」という言葉が重なります。

家族だから
多少の無理は受け入れるべき
見返りを求めるのは冷たい
弱音を吐くのは甘え

そんな無言の圧力が生まれます。

すると、やりがい搾取も善意の搾取も、
「美談」に変換されてしまう。

あの人は献身的だ
文句を言わずによくやっている
会社のために尽くしている

でもそれは、本来
制度や設計で分散されるべき負荷です。

個人の善さで支え続ける組織は、必ず壊れます。

やりがいは、設計しないと守れない

やりがい自体が悪いわけではありません。
問題なのは、
やりがいだけが報酬になってしまうことです。

やりがいを語るなら、必ずセットで必要なのは
・役割の明確化
・権限の付与
・評価基準
・報酬や裁量への反映

これがない状態で
「やりがい」「成長」「期待」
だけを差し出すのは、組織として不誠実です。

本当に人を大切にする会社は、
善意に頼らない。
我慢に甘えない。
仕組みで、やりがいを支えます。

やりがい搾取に飲み込まれないためのボスマネジメント

やりがい搾取や善意の搾取は、
「上司が悪い」「経営者が冷酷だ」
という単純な話ではありません。

多くの場合、上司本人も必死、余裕がない、誰かに頼るしかない
という状態で起きています。

だからこそ必要なのが、上司を責めることでも黙って耐えることでもない
ボスマネジメント」という視点です。

ボスマネジメントとは、上司をコントロールすることではありません。
上司が誤った期待を抱かないよう、関係性と判断軸を整える行為です。

期待を放置しない

善意の搾取は、
「察してくれるだろう」
「わかってくれているはず」
という期待の放置から始まります。

上司は、頼めばやってくれる人に頼り続けます。
それが、悪意なく起きるのが現実です。

だから重要なのは、期待を受け取った瞬間に、形を変えること。

例えば
・これは一時対応なのか、恒常業務なのか
・責任の範囲はどこまでか
・判断権限はどこにあるのか

これを言語化せずに引き受けると、
「できる人がやる仕事」
として固定されていきます。

期待は、管理しないと膨張します。

善意を、条件付きに戻す

善意は、無条件だと消耗します。
でも、条件付きに戻せば、健全な協力になります。

例えば
「今月は対応できますが、来月以降は調整が必要です」
「この判断を任せてもらえるなら対応できます」
「優先順位を整理してもらえれば引き受けます」

これは交渉ではありません。
業務設計のすり合わせです。

善意を出すこと自体は悪くない。
ただし
・期限
・範囲
・条件
をセットにしない善意は、いずれ自分を追い込みます。

感情ではなく、構造の話に変換する

ボスマネジメントが機能しない人ほど、話を感情で受け取ってしまいます。

頼まれた
期待された
信頼された

その結果、断る=裏切りという図式が頭の中で完成します。

でも、見るべきなのは感情ではなく構造です。

・業務量は適正か
・役割分担は妥当か
・意思決定の流れは整理されているか

この視点で話すと、個人攻撃ではなく、組織の改善になります。

「自分が大変なんです」ではなく
「このやり方だと属人化します」
と言えるかどうか。

ここが、ボスマネジメントの分かれ目です。

「頑張り続ける人」にならない

一番危険なのは、何も言わずに頑張り続ける人です。

その人がいる限り、問題は表面化しません。
だから、改善も起きません。

結果としてその人が倒れるか、辞めるか、あるいは心が折れるまで
組織は変わらない。

これは、責任感の問題ではありません。
構造に対して沈黙し続けることのリスクです。

声を荒げる必要はありません。
ただ、静かに
線を引く
言語化する
記録を残す

それだけで、関係性は変わります。

ボスマネジメントは、自分を守る技術

ボスマネジメントというと、
 上司のため
 組織のため
と思われがちですが、違います。

本質は、自分をすり減らさないための技術です。

やりがいを失わず
善意を否定せず
でも、搾取されない

そのために必要なのが、感情ではなく、設計で向き合う姿勢です。

「家族だから」
「信頼しているから」
という言葉に流されず、
仕事は仕事として整える。

それができる人ほど、
組織の中で長く、健全に働き続けられます。

会社は家族ではなく、契約の場である

ここは、はっきりさせておいた方がいい点です。
会社と社員の関係は、あくまで契約です。

働く内容
責任の範囲
報酬
評価基準

これらを合意した上で成り立つ、対等な関係です。

家族のように守る、という気持ちを持つこと自体は悪くありません。
でも、それを言葉にしてしまうと、
「情」で判断していい
「ルールより気持ちを優先していい
という誤解を生みます。

特に、
評価
給与
異動
退職

こうした場面で、必ず判断が歪みます。

公平に決めたつもりでも、
「昔からいるから」
「苦労を共にしたから」
という理由が入り込み、組織の納得感が失われていきます。

不満が言えない組織になる

「家族だと思っているのに、文句を言うの?」
この空気が生まれた瞬間、組織の健全な対話は止まります。

本当は業務が回っていない
本当は制度に無理がある
本当は人が足りていない

それでも、誰も言えない。

結果として、
不満は表に出ず、裏で溜まる
改善提案は減り、黙って辞める人が増える

これは、心理的安全性が高い状態とは真逆です。

じゃあ、どう考えればいいのか

わたしは、「社員は家族」という言葉の代わりに、こう考える方が健全だと思っています。

同じ船に乗る仲間
プロとして尊重し合うチーム
役割と責任が明確なパートナー

この考え方なら、
・期待は言語化できる
・評価はルールで行える
・感情と判断を切り分けられる

優しさは、構造の中で発揮するものです。
曖昧さの中で発揮される優しさは、長続きしません。

創業期だけは例外なのか?

推測ですが、創業初期の数人規模では、「家族的」な空気が力を発揮する場面もあります。
ただし、それは一時的なブーストです。

人数が増えた瞬間、必ず限界が来ます。
その前に、
役割
評価
責任
意思決定
を整理できるかどうかが、会社の分かれ道になります。

まとめ

「社員は家族」という言葉は、
優しさのように見えて、実は責任を曖昧にする言葉です。

本当に社員を大切にしたいなら、
情ではなく、構造で守る。
曖昧さではなく、ルールで支える。

その方が、長く続く、強い組織になります。

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