「うちは社員を家族だと思っているんだ」
── そんな言葉を聞くと、一見あたたかい会社に思えます。
でも本当にそうでしょうか?
社員を家族のように扱うという思想には、いくつもの落とし穴が潜んでいます。
今日はその構造を分解してみましょう。
「家族的経営」がもたらす歪み
「社員は家族」という発想が生まれた背景には、昭和的な終身雇用や年功序列の影響があります。企業は一度社員を雇ったら、定年まで面倒を見続ける。その代わり、社員は会社に忠誠を誓う。この構図の中では、“家族的”という言葉がうまくフィットしていたのでしょう。
しかし現代では、雇用の流動性が高まり、働き方も多様化しています。そんな中で「社員は家族だ」という言葉を使うと、以下のような問題が起こりやすくなります。
境界線が曖昧になり、馴れ合いが生まれる
家族のような関係を目指すと、職務と感情の線引きが曖昧になります。「この人には厳しく言えない」「助けたいけど評価に差をつけづらい」── 結果として、甘えや依存の関係が生まれ、チームとしての生産性は下がっていきます。
経営判断が「情」で揺らぐ
本来、経営とは冷静な意思決定の連続です。しかし「家族」という枠に社員を入れてしまうと、人事異動や退職勧奨、評価などに“情”が入り込みやすくなります。「この人には世話になったから…」という気持ちが、正しい判断を鈍らせてしまうのです。
社員の主体性を奪う可能性がある
家族的な関係は「面倒を見る」「守る」という構図になりやすく、社員を“子ども扱い”してしまうケースもあります。すると、社員自身が自ら考え、動く意欲を失い、いつまでも自立できない組織ができあがります。
本当に必要なのは「尊重」と「対等」
社員は、守るべき子どもではありません。共に働くプロフェッショナルです。
経営者と社員の間に必要なのは、感情的なつながりではなく、対等な信頼関係です。
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成果を出せば、正当に評価される
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意見を言えば、きちんと聞いてもらえる
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問題があれば、率直にフィードバックされる
こうしたフェアな関係こそが、社員の成長を促し、会社の土台を強くしていきます。
まとめ
「社員は家族だ」という言葉には、確かに“温かさ”があります。
しかし、それが「依存」や「馴れ合い」にすり替わった瞬間、組織は緩み、停滞します。
経営に必要なのは、美談ではなく現実を生き抜く構造です。
社員は家族ではなく、共に戦うパートナー。
リスペクトを忘れず、対等な関係を築くことが、強い組織をつくる第一歩です。
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